京都では様々な伝統芸能に触れることができる.その中でも異彩を放つのが壬生狂言だ.正しくは「壬生大念佛狂言」といい,今から700年前の鎌倉時代,壬生寺を興隆した円覚上人(1223~1311)が創始したとされる.
会場の壬生寺は,幕末の志士・新選組隊士たちの訓練場として使われていたことでも知られている.

壬生狂言は,一般的にイメージされる「狂言」とは少し違う.
沈黙の役者.そう,一言も喋らないのだ.
壬生狂言は完全な無言劇で,役者は台詞を使わず,誇張された身振りやリズム,そして印象的な仮面と衣装によって物語を伝える.
壬生狂言は単なる演劇ではない.元々,浄土宗の教えをわかりやすく伝えるために円覚上人が始めたとされる宗教行事である.つまり,文字を読めない人々にも仏教の教えを届けるための「視覚的メディア」だった.
本日4/29に始まった春の大念佛会に行ってきた.
12:30開場,13:00開演というスケジュールだったので,12時過ぎに壬生寺に着くように,市バスで向かった.
壬生寺に到着すると,既に長蛇の列ができていた.恐らく私は150番目くらい.満席は400人と書かれている.
12:30になると,列が動き出す.受付で1000円を支払い,観覧席に向かう.
前方の席は既に満員だった.それでも,観覧席にはかなりの傾斜があるので,後ろからでも舞台がしっかり見える.


壬生狂言の春の公開「壬生大念佛会」は,壬生寺の年中行事の法要であって,狂言はこの期間,昼の勤行として壬生大念佛講が壬生寺の本尊である延命地蔵菩薩に奉納するものだ.
この法要は正安2年以来,約700年間も途絶えることなく続けられてきた.
壬生狂言には全部で30の演目がある.春の大念佛会の初日の演目は,炮烙割,土蜘蛛,桶取,賽の河原,玉藻前,の5つだ.

5つの演目すべてを鑑賞すると4時間半かかる.全部見ようかとも思っていたが,今日は寒かったので,最初の3演目を観た.
炮烙割り
毎年、春・秋の壬生狂言延べ10日間の公開中、毎日13時から初番として演じられる。京都では2月の節分に壬生寺に参詣して、素焼きの炮烙(ほうらく)を境内で求め、家内一同の年齢、性別を書き、寺に奉納するという風習が古くからある。これらの奉納された多数の炮烙をこの狂言で割る。奉納者は厄除開運が得られるという信仰がある。
炮烙割りは,炮烙売りが羯鼓(かっこ)売りを騙そうとしたところ,仕返しされて商売道具の炮烙を割られてしまう,という話だ.見せ場は,炮烙売りが舞台上に積み上げた炮烙を,羯鼓売りが容赦なく次々と舞台下に落としてゆき,炮烙が音を立てて砕け散る迫力あるシーンだ.



土蜘蛛
土蜘蛛の精が夜な夜な源頼光をなやませ、病にかける。家来の渡辺綱と平井保昌がこの土蜘蛛を退治するという狂言である。この演目は壬生狂言の代表的なものの一つである。土蜘蛛の撒く糸が殊に観客の目をひき、衣装も豪華である。土蜘蛛の糸は持っていると厄除けになるといい、またその糸の芯(鉛玉)は、財布に入れておくと「お金がたまる」などといういわれがある。
見応えがあった.土蜘蛛の精が手から長い糸を放ち,源頼光やその家来を襲うシーンは実に華やかだ.この撒かれた糸を拾って財布に入れると,お金がたまるとか,厄除けになるとかと言われている.
舞台から下に飛び降りる,大念仏堂特有の立ち回りも見応えがあった.普通の狂言とは違う.
桶取
壬生狂言で最も重要な曲目である。それだけに演技が難しいとされている。壬生寺の近くに「照子」という美しい白拍子がいた。しかし不幸にも生れながらにして左手の指が三本しかなかったので、来世は障害のない人間に生まれるよう壬生寺の本尊・地蔵菩薩に祈願し、毎日、尼ヶ池(壬生寺の閼伽池)の水を桶に汲んで参詣し、供えていた。これも寺近くに住む和気俊清という金持ちの大尽が寺へ参詣したとき照子を見初め、さんざんにロ説いて遂に馴染んだので、懐妊中の大尽の妻は嫉妬のあまり果ては狂死してしまう。両人は前非を悔い、壬生狂言の始祖・円覚上人の導きにより、妻の霊を慰めるために僧となり、尼となって仏門に帰依したという。狂言では何故かこの物語の最後まではなく、妻が狂乱する所までしか演じられていない。照子が桶で水を汲む所作やその足取りは、佛の種字(佛を象徴する文字)が表現されている。また照子の踊りは独特のもので「かいぐり、つばめ、つかみ」の3つの手をくり返すのである。
2つめの土蜘蛛が終わったところで帰る人も多かったが,3つめの桶取は壬生狂言で最も重要な曲目とのことなので,観ておくことにした.
開演前,会場では壬生狂言の解説書「壬生狂言 詳説」が300円で売られている.壬生狂言を初めて観るなら,ストーリーを知らないなら,これは買っておいた方がいい.
開演前に読んだおかげで,大いに楽しむことができた.

京都に住んでいても,なかなか京都の観光地には行かないし(むしろ避けているし),未体験の伝統行事も多い.
壬生狂言は,その歴史的価値だけでなく,純粋にエンターテインメントとしても魅力がある.無言狂言を体験できる.
このゴールデンウィークに京都にいる,京都に行く人は,ぜひ一度体験してみて欲しい.
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